昨日木曜日は、胡同倶楽部の第二回目(二回目半かなー)の活動日でした。
大事な活動日でありながら、ワタクシ、カメラを忘れてしまうという体たらく・・・あーダメダメじゃん。 おまけに、その前の記録もまだだしー ダメダメの二乗じゃん
・・・というわけで、このあいだの続きをば取り急ぎアップアップ。
史家胡同53号
保護単位の四合院をそのままホテルにしているところ。
ハオユンホテル という名前です。 欧米人に人気ありそうねー。
パンフレットありますか?とか尋ねがてら、ちゃっかり中に入って写真を撮りました。さすがに部屋の写真を撮らせて、とは言えませんでしたが(笑)美しい中庭です。左端手前がオフィス、残りが客室になってるようです。二進式の四合院のようで、さらにもうひとつ中庭があるそうな。
このホテルのHPはこちら http://www.haoyuanhotel.com/index.htm
結構良いお値段ですな。欧米人相手だからでしょうけど。
礼士胡同129号
李鴻臣という塩商人の邸宅だったそう。その後は一時期インドネシア大使館にも使われたのですって。
ここも保護単位なのですが
残念ながら「謝絶参観」の文字が・・ 今は、政府の機関(文化部)が使用してるそうで。 だいたい政府に関係する機関が使用しているところは、参観はおろか写真撮影も禁止されてまして、この日も
腕に腕章をつけたおばちゃんに、ずーーっと監視(?)されちゃいました。別に注意はされなかったんだけどね。
ところで、ここは2001年の大ヒットドラマ@中国 「大宅門」のロケが行われた場所だそうです。ふーん。大宅門 っていうのは、今の同仁堂を興した一族を描く、大河ドラマみたいなもんだったらしい。ふーん。 変面で有名なレストラン 大宅門 とは無関係なんだね。
前回 mh19981999.blog.shinobi.jp/Category/2/ の続き。
東単の一角を占める、協和病院。ここはロックフェラー財団によってつくられたそうですが、今でも北京でもっとも優秀なお医者さま方がいらっしゃる病院のひとつだとか。
20世紀初頭、病院とともに作られた、職員の宿舎の入口がここ
残念ながら「機関宿舎 謝絶参観」の文字が・・・中は、かなり整備されてそうなんだけど、門から覗くことしかできません。
東単北大街から見ると、こんなアーリーアメリカン風の建築物が並んでます。チムニーポットもあったりして、かなりきれい、しかも今も使われてそう。 参観したいなー。
そしてこの宿舎の向かいにあるのが
これまた、なんか由緒ありげじゃなーい?っていう建築物で、こちらは「中華経済会 旧跡」というプレートが。
横に回るとこんな感じ。
いまも、キリスト教関係の機関の事務所になっているようです。病院の関連の教会なのかしらね。うん、かもねー。だいたいあっちの人は教会とセットでやってくるもんだし(独断と偏見)
さて、そこからもう少し北上しまして、「外交部街」に入ります。
これまた、立派な門。
実はここは、1908年、ドイツ国王を迎えるために作られた迎賓館のあとなのです。かの袁世凱もここで執務していたのだとか。中華民国になってからは外交部が置かれたため、この胡同には「外交部街」の名前がついています。
今残っているのは 門のみ。うしろはアパートになっています。
威風堂々の門が、ちょっと寂しげに見えちゃいますねー。
どうも、忍者の書式に慣れなくて、記事の訂正がうまくいきません。えーん。訂正しようと頑張ってたんだけど、うまく収まらなくて、結局削除しちゃいました。どうも写真のアップがうまくいかないんです。なんで~?(涙)
仕方ないので、もう一度、最初から書き直してみます。ぐはぁ、疲れるなー。あー、fc2が懐かしい。
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ニッポンの「さくら」は、とても懐かしい春の景色ですが、実は北京にもさくらの名所があるのです。 北京の中心部から、ちょっと西の方にある 王淵譚公園 がそれ。 清明節休暇の一日、最高気温も20度近くになるらしいし、風もない。これは行ってみなければ・・と相方氏とともにでかけることに。
さてさて。 北京のお花見やいかに?
やっぱりきれいな花は写しておかないと・・・とケータイでパシャッ
だけじゃなくて。
みんなで新体操??
だけじゃなくて。
露店のひやかし
だけじゃなくて。
たとえば 広場で合唱に参加してみたり
池でボートあそびをしてみたり
造花屋さんで、櫻の女王に変身してみたり
あるいは、こんな正統派のお花見を楽しんだり
ただし、お酒はナシですが。
楽しみ方は千差万別。 でも、北京でもさくらのお花見はすっかり定着しているようでした。
春ですね~☆