北京 天主堂シリーズ(そんなものあったっけ?)
その4 南堂 または宣武門天主堂。無原罪のマリアに捧げられた教会堂で、北京では一番古い天主堂です。
場所は、地下鉄宣武門駅からすぐ。
左 前門西大街から眺めたところ 右は、教会の由来を記してあるプレート。
読みづらくて申し訳ありません。、英語の表記はすごく省略してあって短いのです。この国によくありがちなんだけどね。
左 中国でキリスト教布教に力を尽くした マテオ・リッチ
右:フランシスコ・ザビエル 中国本土での布教活動を熱望しつつ、叶わずに亡くなってしまったザビエル。アジアのいろいろな場所で、彼の象を見ますが、ここにもあるのは何故?
ここは、1605年、この地に建てられるも、その後何度か地震や火災にあい、一番最近では、義和団事件の際の火災で焼失、1905年に再建されたそうな。
天主堂の中央の祭壇には、マリアさまが祀られています。「無原罪のマリア」に捧げられた教会ゆえ、かな。スローガンの赤い布が下がってはいますが、白い柱が教会の中を明るくしていました。
1905年再建。ルネッサンス様式の美しい教会でした。あら、まだ<たった>100年しかたってないんだー、なんて思ってしまいました。この国は時間の尺度が違う気がするのよね。
中山公園は、孫文を記念して作られた公園です
中山先生と言われる、孫文像。せっかく来たのですから、お花以外のものも、見ていかなくちゃ(←ビンボー症だね)
というわけで、まずは門(・・・え?そっから?)
中央のご家族・・・ではなく、後ろの門をご覧くださいませ~。
金色の鋲が9つ並んでいますね。「9」は「久」と同じ発音なので、中国語ではめでたい数字だといわれています。9つの鋲は、扉の格は最高レベル、すなわち皇帝にかかわりのある扉ということになるわけです。
で、いきなりずずずーっと奥に進みまして、中山殿。
左の写真、奥に見えるのが、「中山殿」と呼ばれる、孫文記念館。
もともとは「拝殿」と言われ、明・清の時代、皇帝が五穀豊穣を祈祷するための場所であったそう。見辛い写真ではありますが、この上段は、中央が黄色、四方が東西南北、それぞれ青白赤黒の色の土を敷き詰めてあります。
中山殿。1925年、孫文が北京で亡くなったときにここで一時的に棺を安置したために、改名されたそうです。
入場料 2元(30円弱) 入る人が少ない理由がわかります。だって展示物ってほとんど写真ばっかなんだもん。
まあ、私は話のタネに、と入りましたけど(笑) 孫文の書いたもの、孫文に影響を受けたここの国の偉い人(元主席とかね)などなどの写真展示でした。
広州に行ったときに、中山記念堂に行きましたが、あちらのほうが展示物も充実してた気がします。まあ、孫文は南の出身ですしね。展示する品が少ないのは仕方ないのかも。
そんなこんなの見学を終えて、公園の北端まで行きますと
涼しげな景色が待っていました。
木陰で椅子に座って、しばし池を眺めていると、肩の力がふーっと抜けていく感じ、
急に暖かくなりました。
白い綿もふわふわ飛び始めました。春だー。
暑くなる前に行かなくちゃ、という強迫観念にかられて、行ってまいりました。
北京北堂、西什庫天主堂と呼ばれています。
清の康熙帝の病が、イエズス会の宣教師たちが献上した薬によって癒えたため、教会を建立する土地を与えられたのが始まりなのですが、1887年、宮廷の拡張に伴い、現在の地に移転したそうです。
西安門大街から歩くこと数分
観光客も見学を許されているそうなので、中に入ります。
見えてきました。
日曜日にはミサも行われてるそうですが、平日はとーっても静か。
ローマンゴシックスタイルの美しい天主堂。もちろん全国保護単位に指定されております。
ただ
多少違和感のある建物が天主堂の前に。
光緒帝の時代に、この地に移転したということが記されている碑文。亀の背中に乗っかってます。
教会が美しいゴシックスタイルなのに、こちらはベリベリチャイナなんですね。
さて、中に入って良いものかどうか、しばらく外から眺めておりましたら、お庭に水撒きをしていたおじさんが、入っていいんだよ、と声をかけてくれました。謝謝。
こちら、写真を撮っても良かったのかなーと思いつつ撮ってしまった<こらこら わけですが、柱が緑と赤のクリスマスカラー。柱からはイエス様のお言葉を記した布が下がり、まるで何かのスローガンのよう・・・んー、これも一種のスローガンっちゃスローガンだけども。
この国で根付いたキリスト教、というものを見る思いがいたしました。
ゆっくり中を見て周り、外へ出ようとしたら、品のいいおばさまに呼び止められました。ワタクシってば、せっかくの普通話の練習のチャンスだったのに、うっかり英語で返事しちゃったものだから
中文と英文で書かれた、北京の教会のパンフレットを頂戴しました。
これはマリア様とイエス様なんですか?お顔がどうみても東洋系なんですが。
この日の交通費、行きは0.5元、帰りが0.4元、合計1元(14円)もかかってません。
オリンピック時に一新したそうなので、北京のバスはほぼ新しくてきれいです。おまけに、ちゃんとバス停に名前があるし、何より安い!混んでても、この値段なら我慢できるわー、うん。
せっかく北京に住んでいるのだから、と、有志が集まって「胡同倶楽部」なるものを作りました。「倶楽部」って名前がつくと、なんとなく正式っぽいけど、要は胡同をてくてく歩きましょう、という集まりです。一人で胡同歩き回るのって結構勇気が要るんだもん。みんなで歩けばこわくないからね(笑)
さて、その記念すべき第一回のクラブ活動の日。この日は東単から北上します。
まず行ったのは「寧都王府」
「北京市保護単位」と書いてあるのですが、 ほんとに保護単位なの???と思うくらい荒れてます。
屋根の上には草 がぼわぼわ。
奥に進もうとしたら、入口でおばちゃんに止められてしまいました。用の無いやつは入るな、とか言ってたらしい。うーん。残念。奥の建物は、もう少し保存状態がよさげだったんで、見てみたかったんだけど、ダメと言われちゃしょうがありませぬ。
ここ、寧都王府は、康熙帝の孫であった「寧都王」の館があった場所です。しかし彼は、権力闘争に敗れ、俸禄を止められ、屋敷は廃れてしまったそうな。 確かに廃れてる。廃れすぎの感もありますが。「廃れた」雰囲気を保つための演出なんだろか、この荒れ模様・・・
保護単位に指定されていても、まだ修復の進んでいない建物は、公開されてないものが多いのだそう。そのうち、ちゃんと修復されたら公開されるでしょう、との話も聞いたのですが、果たしてそれはいつになることやら。
そういえば、このあたりは、北極閣 という名前の胡同です。道光年間に、この建物が火災で焼失してしまったので、再建後は水神を祀る「北極閣」を敷地内につくったそうです。それで、このあたり一帯の胡同には、北極閣という名前がついているのだとか。ここは北極閣三条でした。
というわけで今日はここまで。続きはまたね。